明治維新から150年が経とうとしておりますが、今日の我々があるのは先人たちが時代の荒波を乗り越え新しい国づくりに奔走してきたからです。
黒船来航によって訪れた近代日本の夜明けは、現代もより大きく、より複雑に形を変えて押し寄せてきております。
今日、地球レベルで食や農を取り巻く環境が大きく変化している中で、私共は受け継がれた伝統(守り)と時代の変化に対応した革新(攻め)のバランスを重要視して今後の事業展開を模索しております。
世の中には沢山の仕事がありますが、商品やサービスを提供したお客さまから「ありがとう」という感謝の言葉を頂ける職業はそんなに多くはないと思います。
それは、土にタネをまき、水や肥料を施し果実となって収穫されるまでに長い月日を費やす農業において、私共の仕事はお客さまにとって何よりも大切な「信頼」を基礎としているからです。
これからも、長きにわたって社会(お客さま)に貢献し続ける「老舗の精神」=「信頼」を大切に、社員一人一人がお客さまから必要とされる存在になるようミライに起点を置いた発想で、当社ならではの「新しい価値の創造」を目指してまいります。
奥村商事株式会社
代表取締役社長 奥村 友三
伝統なき創造は盲目的であり、創造なき伝統は空虚なりという格言がありますが、我々は、長い歴史に培われた伝統を引継ぎ、豊かな国づくりを目指して新しい顧客価値を創造してまいります。
奥村商事株式会社の企業マインドを形づくっているのは、3つの要素です。
「社是」「ミッション」「経営目的」
しっかりと大地に張り巡らされ、全体を支えている“根”が「社是」になります。私たちが行動するすべての源になる規範です。
ぐんぐん成長していく”幹”は「ミッション」。日々これを実践し、より大きく確かなものをめざします。
そして、天空に向けて青々と豊かな葉を茂らす“枝”が「経営目的」。到達を願ってやまないゴールです。
奥村商事株式会社は、しなやかにかつ皆さまに頼りにされる一本の樹でありたいと思います。
生命の源である「食」=「農業」の発展に寄与し、地域・社会・得意先に必要とされる存在になること。
全従業員の物心両面の幸福を追求し、次世代に夢をつなぐこと
明治6年、勝海舟が8代当主奥村嘉蔵に揮毫した書。
激動期にあって、常に心穏やかに世の中の趨勢を見極めた経営をするようにと説いたもので、現代においても経営者として肝に銘じている言葉です。
奥村商事株式会社
代表取締役社長
奥村 友三
商号 | 奥村商事株式会社 |
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創業 | 1873年(明治6年) |
会社設立 | 1950年(昭和25年) |
資本金 | 1,500万円 |
役員 | 代表取締役社長 奥村 友三 取締役 奥村 誠 取締役 藤井 秀和 監査役 相子 英行 |
取引銀行 | みずほ銀行、阿波銀行、商工中金 |
事業内容 | 肥料全般、農業資材家庭園芸資材の販売、農産物の取扱い、輸出入業務、健康食品の販売、徳島特産品(藍染製品・わかめ等)の販売、不動産業(賃貸マンション) |
所在地 | 東京本社 東京都江東区福住1-12-15 徳島営業所 徳島県板野郡藍住町徳命字前須西179 埼玉工場 埼玉県久喜市北中曽根1414 |
関連会社 | 関東肥料工業株式会社、株式会社ジャパン・アグリビジネス、網中産業株式会社 |
主要取引先 | 三井物産、三井物産アグロビジネス、三菱商亊アグリサービス、住商アグリビジネス、NCTアグリ、デンカ、サンアグロ、福栄肥料、関東電工、日東エフシー、タキイ種苗、クロレラ工業、中村商会、九鬼肥料 |
文化年間(1804~1818)~幕末 | 徳島藩にて地主農家から藍商人に転進、藍とそれに付随する肥料の流通を営む。 徳島藩から阿波藍大阪売場株・玉師(藍師)株を取得、後に筑前・肥前の売場株を取得。 |
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明治6年(1873) | 「藍の製造販売自由化」を契機に東京(佐賀町)に店舗を開設。 相模・甲斐・信濃・駿河でも藍の販売を開始。 |
明治28年(1895) | 東京店舗に肥料部・雑穀部を開設。 米穀・大豆・魚粕・満州大豆粕の販売、特に品質を厳選、秤量し合格したものだけに青印をし、 やまかの「青引き大豆粕」として販売。関東・東北で往時名声をとどろかす。 |
明治33年(1900) | 東京店舗を佐賀町から一色町(現在地)に移転。 |
大正13年(1924) | 東京肥料問屋組合第四代頭取に当店支配人内山形郎就任し、業界、組合の為、種々貢献する。 |
昭和20年(1945) | 戦時中統制のため営業休止、戦災のため社屋を全焼。 |
昭和22年(1947) | 徳島で奥村商店営業再開。 |
昭和25年(1950) | 肥料取扱いを再開。これを機に本社を徳島から東京に移転。 「株式会社奥村商店」として再出発。奥村武夫が初代社長に就任。 |
昭和30年(1955) | 本社ビル建設 |
昭和37年(1962) | 三井リッチ配合肥料販売 |
昭和44年(1969) | 商号「株式会社奥村商店」を「奥村商事株式会社」に変更。 佐野源三が二代目社長に就任。 |
昭和46年(1971) | 創業100周年を迎え、記念式典を開催。又、三井リッチ配合肥料発売10周年記念全国特約店会議を開催。 |
昭和53年(1978) | マンション「オクムラハイツ」を建設。 |
昭和57年(1982) | 保健食品および家庭園芸、緑化資材の販売を開始、「物資部」を新設。 |
昭和60年(1985) | 種子・農業資材販売開始。 |
昭和62年(1987) | 徳島営業所藍住町に移転。奥村会長所有の建造物13棟(藍の館)を藍住町へ寄贈。 |
昭和63年(1988) | 釧路工場開設(北洋興産株式会社製造委託) |
平成元年(1989) | 代表取締役社長佐野源三、農業振興寄与に依り叙勲。徳島営業所売店(藍屋敷おくむら )開設。 |
平成2年 (1990) | 千葉工場開設(昭光通商株式会社製造委託) |
平成3年 (1991) | ナガオカ配合肥料(タキイ種苗全国ルート専用銘柄)製造開始。 |
平成4年(1992) | 奥村正明が三代目社長に就任。 |
平成11年(1999) | 関係会社・関東肥料株式会社は兼松アグリ株式会社と製造会社・株式会社ケーツーを埼玉県久喜市に設立し、 有機肥料配合肥料の製造を委託。 |
平成12年(2000) | 旧関東肥料跡地(1,100坪)にてジャパン・アグリビジネス運営の大型園芸店ガーネット岩槻店開店。 |
平成13年(2001) | 創業130年、会社設立50周年記念事業の一環として、社内オンラインによる業務システムを構築。 |
平成16年(2004) | 徳島営業所 藍屋敷おくむら脇町うだつ店開店。 |
平成19年(2007) | 奥村友三が四代目社長に就任。 |
平成21年(2009) | マンション「アグリパーク深川」を建設。 |
平成22年(2010) | 阿波藍染めオンラインショップ「ネット藍」開設。 |
平成23年(2011) | 農産物直売所 「ふれ藍の里」を徳島県藍住町に開設。 |
平成23年(2011) | 組織機構改革にて肥料部営業課とアグリフード課を設立。 |
平成23年(2011) | 農業生産法人 株式会社JABファーム設立し農業事業に参入 |
平成24年(2012) | 株式会社前川製作所が開発した植物共生細菌「エンドファイト」 商品名「イネファイター」の製品総販売元(北海道除く)となる。 |
平成24年(2012) | 創業140周年記念「感謝の会」を東武ホテルレバント東京で開催。
奥村商事140周年を記念して製作した奥村商事紹介映像 |
平成25年(2013) | ガーネット岩槻店の店舗業務を停止し、アグリフード課の活動拠点として再稼働 |
平成26年(2014) | 徳島営業所 藍屋敷おくむら脇町うだつ店閉店 | 平成30年(2018) | 組織機構改革にて技術普及推進チ-ム・業務企画課を設立。 |
平成30年(2018) | 組織機構改革にて業務(営業)支援チームを設立。 |
平成30年(2018) | 土壌診断分析研究会「やまか会」発足 |
平成31年(2019) | 藍屋敷おくむら店舗内に新ブランド「藍屋嘉蔵」立上げ |
令和元年(2019) | 植酸有機液体肥料メーカ日本液体肥料(株)と業務提携を結ぶ |
令和2年 (2020) | 新規事業創造組織「ミライの事業室」設立 |
令和3年 (2021) | 資本金1,500万円に増資 |
令和5年 (2023) | 網中産業株式会社の事業・経営権譲受 |
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