2019年7月1日(月)永昌五社稲荷神社奉賛会参拝式開催
2019年7月1日(月)永昌五社稲荷神社奉賛会参拝式が執り行われました。
・式典会場
永昌五社稲荷神社 社殿前(富岡八幡宮・参集殿東側)
住所:江東区富岡1-20-3
電話:03-3642-1315
・式典 午後3時30分~午後4時
・講演 午後4時10分~午後5時
永昌五社稲荷神社 社殿前(富岡八幡宮・参集殿東側)
住所:江東区富岡1-20-3
電話:03-3642-1315
・式典 午後3時30分~午後4時
・講演 午後4時10分~午後5時
講師 株式会社タニタ 谷田千里社長
・直会 午後5時~午後6時30分
谷田千里社長プロフィール
1972年大阪府吹田市生まれ。
1997年佐賀大学理工学部卒。
船井総合研究所などを経て2001年タニタ入社。
2005年タニタアメリカ取締役。
2008年5月から現職。47歳。
レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」事業や、企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などを展開し、タニタを「健康をはかる」だけでなく「健康をつくる」健康総合企業へと変貌させた。
<略歴>
平成 9年(1997) 3月 佐賀大学理工学部卒業
平成10年(1998) 1月 株式会社船井総合研究所入社
平成13年(2001) 1月 株式会社タニタ入社
平成16年(2004) 12月 タニタアメリカINC 取締役就任
平成19年(2007) 5月 株式会社タニタ 取締役就任
平成20年(2008) 5月 株式会社タニタ 代表取締役社長就任

1997年佐賀大学理工学部卒。
船井総合研究所などを経て2001年タニタ入社。
2005年タニタアメリカ取締役。
2008年5月から現職。47歳。
レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」事業や、企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などを展開し、タニタを「健康をはかる」だけでなく「健康をつくる」健康総合企業へと変貌させた。
<略歴>
平成 9年(1997) 3月 佐賀大学理工学部卒業
平成10年(1998) 1月 株式会社船井総合研究所入社
平成13年(2001) 1月 株式会社タニタ入社
平成16年(2004) 12月 タニタアメリカINC 取締役就任
平成19年(2007) 5月 株式会社タニタ 取締役就任
平成20年(2008) 5月 株式会社タニタ 代表取締役社長就任
about 永昌五社稲荷神社奉賛会
永昌五社稲荷神社奉賛会は昭和3年社殿再建の際、寄進を賜った50余社を土台に、肥料関連の方々並びに、全肥商連在京会員の各社の内、主旨にご賛同頂いている方々の御厚宜により、肥料業界の発展を目指すため、志ある方々の積極的なご参加を得て、幅広い情報交換及び忌憚のない意見交換の場を提供する会。
永昌五社稲荷神社奉賛会は昭和3年社殿再建の際、寄進を賜った50余社を土台に、肥料関連の方々並びに、全肥商連在京会員の各社の内、主旨にご賛同頂いている方々の御厚宜により、肥料業界の発展を目指すため、志ある方々の積極的なご参加を得て、幅広い情報交換及び忌憚のない意見交換の場を提供する会。
<永昌五社稲荷神社祭礼 会長>
奥村商事株式会社 社長 奥村 友三
奥村商事株式会社 社長 奥村 友三
<永昌五社稲荷神社祭礼 世話人>(五十音順)
網中産業株式会社 社長 網中 信子
奥村商事株式会社 社長 奥村 友三
大栄物産株式会社 社長 野呂 義崇
大東肥料株式会社 社長 伊藤 健一
太陽肥料株式会社 社長 加藤 和久
網中産業株式会社 社長 網中 信子
奥村商事株式会社 社長 奥村 友三
大栄物産株式会社 社長 野呂 義崇
大東肥料株式会社 社長 伊藤 健一
太陽肥料株式会社 社長 加藤 和久
<事務局>
住所:東京都江東区福住1-12-15 奥村商事株式会社内
総務部長:相子 英行 (電話:03-3642-1946)
住所:東京都江東区福住1-12-15 奥村商事株式会社内
総務部長:相子 英行 (電話:03-3642-1946)
about 永昌五社稲荷神社
永昌五社稲荷神社は、深川の肥料業者の信仰を集めている小さなお稲荷さんである。深川は、古くから肥料問屋が軒を並べ、ホシカ(干鰮とも干鰯とも言う)を中心とする肥料の流通センターであった。昔の商人は信仰心が篤かったから、漁の安全・商売繁盛を願ってあちこちの神社に参詣していた。この稲荷神社は、もと江川場(和倉町)の問屋、加瀬忠次郎の庭先に祭ってあったが同地所が転売された為、明治29年に八丁堀の永昌稲荷と合わせて富岡八幡境内の今の場所に祭ったのが永昌五社稲荷の初めである。御神体が五ヶ柱あったことから永昌五社稲荷神社と呼ばれた。祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト:五穀豊穣・商売繁盛の神様)である。
大正12年の関東大震災で焼け落ちてしまいそのまま淋しく残されていたのを、当時の東京肥料問屋組合の頭取であった奥村商店の支配人 内山形郎氏はその荒廃を嘆き、寄付を集め、昭和3年に再建した。
昭和20年の東京大空襲では奇跡的に戦火を免れたがその後20数年そのまま寂れていたが、たまたま当時の奥村商事社長 佐野源三氏と三井物産肥料部次長 豊田吉郎氏との間で復活祭が話題に上がり、昭和53年4月往時の関係会社、関係者30数名の参集を得て例大祭を行った。それ以降毎年1回、よき日にこのお稲荷さんの前で盛大な例祭を行っています。
永昌五社稲荷神社は、深川の肥料業者の信仰を集めている小さなお稲荷さんである。深川は、古くから肥料問屋が軒を並べ、ホシカ(干鰮とも干鰯とも言う)を中心とする肥料の流通センターであった。昔の商人は信仰心が篤かったから、漁の安全・商売繁盛を願ってあちこちの神社に参詣していた。この稲荷神社は、もと江川場(和倉町)の問屋、加瀬忠次郎の庭先に祭ってあったが同地所が転売された為、明治29年に八丁堀の永昌稲荷と合わせて富岡八幡境内の今の場所に祭ったのが永昌五社稲荷の初めである。御神体が五ヶ柱あったことから永昌五社稲荷神社と呼ばれた。祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト:五穀豊穣・商売繁盛の神様)である。
大正12年の関東大震災で焼け落ちてしまいそのまま淋しく残されていたのを、当時の東京肥料問屋組合の頭取であった奥村商店の支配人 内山形郎氏はその荒廃を嘆き、寄付を集め、昭和3年に再建した。
昭和20年の東京大空襲では奇跡的に戦火を免れたがその後20数年そのまま寂れていたが、たまたま当時の奥村商事社長 佐野源三氏と三井物産肥料部次長 豊田吉郎氏との間で復活祭が話題に上がり、昭和53年4月往時の関係会社、関係者30数名の参集を得て例大祭を行った。それ以降毎年1回、よき日にこのお稲荷さんの前で盛大な例祭を行っています。